湾岸危機から始まったリスク対策 駐在員3400人、出張者8万人を守る(株式会社日立製作所)

リスク対策.com 2016年3月号掲載記事

世界中の危険情報を配信

海外安全対策として行っている活動は大きく6つある。

①イントラネット上での情報提供

1つ目は、社内イントラネット上のホームページからの情報提供。日常的に外務省やメディアなどからの情報をもとに、注視すべき情報を入力・発信している。その数は毎日80〜100件程度にもなり、日立グループ内だけの情報公開にも関わらず月平均、約1万人が利用しているという。ヒット件数にすれば月300万件以上の数にもなるそうだ。

主な情報は、どこでどのような事件・事故・災害が起きたか、どこでどのような注意が必要かなど。これらのニュースは、国別・地域別をはじめ、時系列で最新情報として掲載される一方、①治安・事件・事故、②政治・経済・労働、③自然災害・環境・疾病、④誘拐・人質、⑤航空機、⑥自動車・列車の大きく6つのカテゴリーに分類される。さらに、日立グループの従業員に実際に発生した被害情報(例えばスリ、置き引き被害など)も掲載される。入力された情報は97年からデータベース化されており、過去の事件・事故の傾向を見たり、国別の動静の推移を見るなど危機管理に役立てられている。

②注意喚起通知の発信

2つ目は、注意喚起通知の発信。テロ警戒情報や感染症情報など、特に注意が必要な緊急メッセージを発信する。最近では「北朝鮮情勢について」や「ジカ熱の流行について」を載せた。日本語と英語併記で、全世界の日立グループ従業員に向けていち早く通知をしている。通知する内容は、例えば「北朝鮮情勢について」を見れば、「①現在の情勢」と、独自の分析を加えた「②今後の見通し」、現地や周辺国での「③留意事項」など関係する国・地域に勤務、渡航する従業員に必要な情報を簡潔にまとめている。2015年1月〜12月までには35件の危険情報・注意喚起情報を掲載した。このうち国内の地震災害などの情報が10数件あり、海外に関しては20件程度の情報がアップデートされている。

これらの情報は、脅威の内容と度合いに応じて一国限定とする場合と、広域に注意喚起する場合がある。例えばフランスの同時多発テロ事件では、フランスだけの事件と捉えず、広域の問題として取り扱い、世界全拠点に警戒を呼びかけた。

テロに関しては、2015年1月の「日本人拘束殺害テロ事件」以降、その脅威を3つの類型に分けて分析しているという。

まずは外国人権益を標的としたテロへの脅威。日本人や日系企業も含め、常に狙われる可能性があると認識し、外国人・外国権益を標的としたテロ・誘拐・脅迫等が懸念される国・地域・都市では引き続き不測の事態に備えて警戒を維持・強化する必要がある。

次に、ISおよび連携・競合するテロ組織による襲撃の脅威がある。特に中東・北アフリカ、アジア等の諸国では、政府・軍事・治安関係施設、宗教関連施設、交通要所、宿泊・商業施設、観光名所等を標的としたテロの脅威が高まっており、渡航を計画する場合は、現地の情勢を踏まえて渡航の是非を慎重に判断する必要がある。

最後はホームグロウンやローンウルフ型の個人単独テロの脅威。これについては、国や地域を問わず、日本も含め、世界のあらゆる場所で、通常の勤務・生活を維持しつつ最新情報を常にモニターし、新たな警戒情報発出やテロ事件発生などの不測の事態に備えることが重要ということを、日常的に繰り返し訴えている。フランスの事件は、1番目と3番目が複合して発生した事案と考えてよい。

このほか広域情報としてはMERSや季節性インフルエンザ、ジカ熱など感染症も載せている。

同社の渡航制限については、外務省の4段階の危険地域指定に基本的には準拠している。レベル3と4については渡航禁止、レベル1と2については要注意に区分けしている。すべての海外渡航については外務省の「たびレジ」に登録するように指導しており、さらに要注意の渡航案件については、リスクマネジメント部に渡航計画を提出することを義務付けている。

③渡航相談による個別指導

3つ目の活動が渡航計画のチェックと渡航相談による個別指導だ。

渡航禁止の地域でも、どうしても行かなければいけない場合には、リスクマネジメント部が事業部門と一緒に調査や現地の分析を行った上で派遣の可否を決定する。一方で、レベル1、2の要注意地域でも、少し気をつけた方がいい場合には、提出された渡航計画に従って、個別に各事業所にコンタクトをとって、渡航の安全対策を確認したり、個別に指導することも実施している。個人のプライベートな渡航も含め、個別に渡航相談を受けられる仕組み。2013年の渡航相談受付数は92件だったが、14年には2倍以上の211件に増えたという。

④海外赴任者向け研修

4つ目が、海外渡航者向けの研修。約3400人の海外赴任者のうち、毎年1000人ぐらいは新たに赴任をしている。このうち8割以上が渡航前に日立グループ内共通の海外赴任オリエンテーションを受け、残り2割も各派遣元会社で研修を実施している。日立グループ共通の研修では、リスクマネジメント部から講師を派遣し、1.5時間を費やして、海外での安全対策を再認識させることを長年続けているという。また、4〜5年前からは、年間1000人の若手社員を2週間〜数カ月海外へ派遣する「若手海外派遣事前研修」を開催しているが、これについても、必ず派遣前の事前研修でリスク対策について説明しているとする。

⑤渡航者のサポート

5つ目が渡航者アシスタンスライン・緊急医療支援サービスの提供。海外に渡航・駐在する従業員および家族は、海外でトラブルなどに遭ったときにいつでも日本語でサポートが得られる緊急電話サービスで、怪我、疾病などの医療対応が必要なケースでは、提携している医療サービス会社に取り次ぐ。

⑥危険地域渡航者の安全対策

そして6つ目が、危険地域渡航者の安全対策支援。例えば、危険地域に社員を派遣しなくてはいけない時には、事前に安全対策調査を行う。現地に詳しい専門のコンサルティング会社等とのネットワークを活用し、現地の状況を確認しながら、移動行程や勤務・宿泊地の安全対策を確かめていく。ここ数年では中東、アフリカなどで5カ国、6プロジェクトの現地調査を実施している。

「日立グループではなく、他社が主契約会社である場合もあり、当然、それぞれの会社がしっかりとした安全対策を行っているが、私どもがスタッフを派遣する場合は、主契約会社が安全対策をしているからといって安心するのではなく、必ず我々の責任として我々自身で現場の安全対策を確かめ、その上で派遣を判断するということを徹底している」(椚田氏)。

現地対策本部を支援

もう1つ、安全対策支援として、有事対応の際に現地に実際に出向いて、対策本部を立ち上げる支援も行っている。2011年のタイの大洪水では、日立グループ3社5拠点が浸水し、現地の責任者がそれぞれ対応にあたったが、リスクマネジメント部でも、浸水後約6週間、交代で現地に駐在し支援したという。グループ各社からは復旧に従事する実装部隊が派遣されているが、本社とグループ各社の情報を共有し、それぞれの役割分担などを調整・最適化するために、リスクマネジメント部がグループ各社を代表して現地対策本部の統括にあたった。

椚田氏は「災時時の情報共有は本社とグループ各社が連携して対応にあたるために非常に重要で、タイの洪水の時は、現地の被災会社3社5拠点と、被災したグループ企業の本社、日立製作所本社の対策本部が常に連絡を取り合うとともに、粒度が異なる情報のやりとりで齟齬が起きないよう情報の流れ方や、フィードバックの方法にも工夫した」と話す。

画像を確認 タイ洪水時の社内情報(資料:日立製作所)

2003年SARSの対応

現地との連携がうまくいった例が2003年のSARSだ。この時、日立グループはWHOよりも早く警戒情報を流して、いち早く家族を帰すという対策を取ることに成功した。当時2月ぐらいに、現地から「得体の知れない感染症のようなものが流行っている」という情報が入り、それに対して実態を確認した上で、WHOの発表を待たずに日立グループ内に注意喚起をした。現地の状況は、本部からは把握しづらく、不明確なものも多い。そのため、椚田氏は「いかに事業所や海外拠点とのネットワークを構築し維持するかということに日々留意している」とする。

2014年に起きたシドニーでのカフェ襲撃事件での対応も早かった。午前8時44分(現地時間午前9時44分)に事件が発生し、その約10〜15分後にオーストラリアの代表拠点より本社リスクマネジメント部に電話で第一報が入った。代表拠点ではすでに自社の社員については安否確認を行っているとの報を受けて、本社リスクマネジメント部では、直ちにオーストラリアに拠点を持っている全グループ会社の日本本社に個別に連絡を取り、現地社員も含めた安否確認をするよう連絡した。さらに、日立グループのオーストラリア出張者もすべてシステム上で把握しており、派遣元に個別に連絡をとり、約2時間後には全員の安否を確認することができた。「日頃のネットワークで常に連絡がとりあえる体制を維持している成果」と椚田氏は語る。

トップの明確な方針

同社の海外安全対策のポイントは、まず、トップの方針が明確であるということ。アルジェリアでの人質事件の再に、当時の中西宏明社長が「日立グループではかねてより社員の安全を最優先として、そして、本社のリスク対策部(現在のリスクマネジメント部)と各カンパニー・グループ会社の責任者による連携体制を築いてみなさんの安全確保に注力しています」とのメッセージを発表した。椚田氏は「何かが起きたから急に安全対策に力を入れるのではなく、湾岸戦争が起きてリスク対策専任部署が設置された当時からずっと危機管理意識が受け継がれてきたことを表している」とこのメッセージの重要性を指摘する。椚田氏は「企業としてのリスク対策に正解はない。その中で、我々が常に悩みながら求めていることは、まずはリスクが現実化する可能性がどれだけあるかということにきちっと向き合って、その現実化した場合の被害とそのコストを見積り、実際に対策をした場合の効果を考えていること。そして、最後に一番重要なことは、ステークホルダーの心情に沿うかというところ」と強調する。

株主、社員、社員の家族、取引先、そして社会全体として受け入れてもらえるか悩み、考え抜いて判断し行動することが重要だとする。

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